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2008年10月 3日

S.A.I

送り獅子(おくりじし)

 渡御巡行の最終日の夜、女段(おんなだん)と呼ばれる神社の参道前で、神輿を運行してきた後厄の白丁衆が見守るなか、露払いの獅子方が見送りの「棒振り」を披露する。その後、白丁衆は神輿を神社境内まで担いで女段を登っていき、神輿が見えなくなるまで獅子は参道鳥居の前で見送る。この「送り獅子」は、それまでの騒然とした祭りの雰囲気が一変した静謐で幽玄な雰囲気のなかで行われる。

~Wikipediaより引用~



今年はかなり久しぶりに送り獅子ができる。



そう思っていた。

順番で言えば明らかにどちらなのか
論ずるまでもないのだが、
イタイ連中の戯言によりなぜかじゃんけんでそれを決めるということになっていた。


そしてそれに負けてしまった。


運によるジャンケンで負けたのは仕方のないこと。
戦略の立てようもない。そこは負けは負けだ。


さらに
泣きっ面にクマンバチである。


そこまで虐げられなければならないものかという仕打ちが待っていた。



初日は新町のある下手を回る。

例年であれば、新町は
いつも行列の最後尾付近でジリジリしている。

新町を通る頃には日も暮れてから大分経ち、
ちょうどいい感じに盛り上がる。


花もほとんどの家から出してもらえるので
当然すんなりとは前に進まない。
楽しい時間が続く。

夜は深まり遅くまで祭りは続いていたのだ。

そんな理由から下手を回るときは
新町は最後尾付近なのが恒例となっていた。


しかし。

今回は先頭なのだ。



先頭ということは
御神輿さんのペースについていかなければならない為
あまり間が空きすぎると行列としてはおかしく、
進むのが遅いと後からブーブー言われる立場である。
前も後も警戒しながら「進行」を最優先で進まなければならない。
ということは自分達のホームタウンを、ほぼ素通りしなければならない。

ジリジリできない。

一番テンションの上がるところを素通り。




「いつも来るが遅いけど、私は新町を待っとるんや。だから
家を開けて待っとるんや。」

新町の年寄りはそう言う。

大変ありがたい、頭の下がる言葉だ。



さすがに花を打ってくれるということも多い為、
素通りするわけにもいかない。

じゃあどうするのか。


盛り上がり時間外にも通って花をもらうということだ。

盛り上がり時間に通ってもらえないところと、
通ってもらうところにわかれるのだ。


そして
団長はその決断もしなければならないのである。




個人的な意見を言えば
家に親戚の人が集まる時間帯には
新町はもう通ってしまっているということだ。



ということで下手の日に先頭というのは
我々にとっていろんなネガティブな要素が多い。



これを考慮してさいちゃんは頭を下げ、どうにか最後尾あたりにできないか、
とお願いしたのだが、即却下。通らず。

イタイ連中には情けもなく、理屈も通らなかった。

残念。



屈辱以外なにものでもない。

これは幕末の土佐郷士に近いものがある。
着物の裾を噛んで堪えるしかないのだ。


まあいい。

そんなことはforget.



そして、
町内でも賛否両論はあったのだが、
決まってしまったものは仕方がない。
セオリーどおりで行こうということになった。
それが筋ではないかと。



ぶっちゃけた話、トーンダウンである。

ある意味新町の祭りは終わったようなもんだ。


そう思っていた。




しかしながら


ここで終わってしまうのが新町ではなかった。



昨日、一昨日と
個人的に相談してくる輩が数人いた。


「俺はここでこういう風にして盛り上げたい」
「俺はこういうカッコをしたいが、どう思う?」
「僕はどういうカッコをすればいいんですか?」

といった相談内容だった。


恵まれない環境ながらもそれはそれで楽しんでしまおう
ということである。



単なる"銭集め集団"ではなく
"祭り自体を楽しむ"という新町青年団の
根本的なスタンスを思い出させてくれた出来事だった。






そして、
祭り前日である昨日、
団長から祭りの説明があり、
その後、彼は
「送り獅子を出来なかったこと」
「下手の日に行列の先頭になってしまったこと」
「新町を回る日が分割されてしまったこと」を
青年団に詫びた。



さらに

新町の人たちに申し訳ないので
団長である自分の家を一番人のいない今日、
金曜日にまわるというのだ。



団長の家といったら夜に通った時に
造り物であれば全員で造り物を差し上げ、ぐるんぐるん回ったり
獅子であれば、全員が出て棒振りをするといった
団員にとってはかなり気合の入るところなのだ。
(今回は10人獅子といったものが企画されていたみたいだが)
それは当の本人も喜ばしいことだろう。



それを今日まわるというのだ。

他の人を差し置いて
自分のところをそういう風にもっていくことはできない、と。


なかなか凡人にはできないことである。


ここに「さいちゃん」という漢(おとこ)の大きさを見た。

やばい。泣きそうだ。「この人の為なら」と思った。

ヤ〇ザみたいな上司に
勇気を出して今日、有休届け出せばよかったと思った。


まだまだ新町は底が知れない面白い人がいる町である。そう思わせていただいた。

旬な風に言えば「オモロー!」な青年団だ。


今年も楽しませてもらおう、いや、楽しませようじゃないか。