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2013年6月16日

ヒトクギリ

これを後世に伝えていこう
 
 
 
今の若者たちにも、残していこう
 
 
 
 
ってのは伝える側の、年寄り側のエゴなんかもしれんなぁと
 
 
 
若者を見てて、たまに思うわけですよ。
 
 
 
 
仮にそうではなかったとした場合、
 
 
 
受ける側の意見、ホンネというのは見えないわけで。
 
 
 
ヘタをすればありがた迷惑にもみえなくもない。
 
 
 
 
 
 
要はコアにあるものは円滑なコミュニケーションというもので、

それを担っていくツールとして、タイミング的に飲み会が組まれる場合があるんです。
 
 
 
 
 
とすると今の若者自体のコミュニケーション、方法が「酒ありき」ではない
 
 
という考えも。
 
 
 
 
 
さらにさらに、コミュニケーション自体が不要なのかもしれません。
 
ヒトヅキアイ。
 
 
 
 
こちらがいくら、重要性をアピールしたとしても
 
結局「不要ジャネ?」というフィルターを通すとアタマには残らないんです。
 
 
 

 
もう、ね、極端に言うと1か0。
 
やるかやらないか。
 
それだけ。
 
極端にいうと。
 
それでジュウブンとするか。
 
 
 

 
 
これを見て、現実とするならば
 
我々からしたらサミシイ話かもしれないんですが
 
ナゲくわけでもなく、ただ受け入れるしかないんです。
 
 
 
 
 
 
それでええんじゃないか。 
 

  
 
 
彼らには彼らなりのそいういったものが
 
存在するのかどうかすらあやしいトコロではあるのですが
 
コトバというツール、それをもってして伝えるタマシイというのは
 
失っちゃいけないものなんじゃないかなぁと思ってみたり。
 
 

 
  

 
では、なんのためにワレワレは飲み会を開くのか。
 
 
 
 
 
それは、
 
 
 
 
 
 
深い意味はない。(笑)
 
  
 
 
 
ええじゃないか。 
 
 
 
 

 

 
 
まぁ誰が読んでるかわからんってので照れくさいのもあるのですが、
 
書くのがめんどくさくなってきたので
 
どこかの機会で、お酒の力を借りて、クドく、お話を。
 
 
 
 
 
 
 
しませんけど。
 
 
 
 
まぁコアな部分はヨシノリさんにきいてください。
 
 
 
ポイントは、
 
 
一回顔赤くなって、そのあと普通にもどってから。

 
 
 
 
 
 

ということで
 
 
おやじの会「最後の晩餐」。
 
 
第10回を持って、イイ感じで完了となったのではないでしょうか。
 
 
 
 
よくも10年も続けてくれたなぁ、と
 
キタダのおやじには「感謝」という言葉以外見つかりません。
 
 
 
ありがとうございました。
 
 

 

「ナマの会」へつづく。